私のスマイル経営・目次 はじめに(上) はじめに(下) 【第一部:『000(トリプル・オゥ)』】 第1章:八方破れ その1 始まり >受注が減り続け、先の見えない日々がありました。それでも「笠盛」を終わらせたくない一心で生まれたのが「000」です。刺繍の新たな可能性を信じた私たちの物語です。 その2 七転び インドネシアでの苦い失敗がなければ、『000』は生まれなかったかもしれません。挫折から学び、次の一歩を踏み出した、私たちの挑戦の記録をここに記します。 その3 ものづくりニッポン 膨大な負債に打ちのめされる中、海外の失敗を経て気づいたのは私たちの原点でした。故郷・桐生で世界最高の刺繍を追求する。その覚悟が笠盛を再生させる希望の光となりました。 その4 八方破れ 「桐生から世界へ」と決意し、パリの展示会へ挑戦しました。ところが刺繍とはお門違いの展示会。それでも、私の「八方破れ」が、笠盛の未来を切り拓く突破口となったのです。 その5 てんやわんや ダメ元で応募した「モーダモン」だったがまさかの合格。驚きで社内は混乱しましたが、この通知こそが、私たちの刺繍技術が世界で通用するという確かな証明となりました。 その6 ところで パリ出展が決まったものの、経験ゼロで大パニック。そんな窮地を救ったのは、倒産寸前の我が社に熱意で飛び込んできた若き片倉君と、支えてくれる仲間たちの存在でした。 その7 KASAMORI LACE 独自レースの開発は技術的難問の連続でした。糸切れに泣きながら妥協を許さぬ闘いを経て磨き上げた自信作を抱え、疲れ果てた私たちは、いよいよパリへ向かいました。 その8 戦場 パリの展示会場で待っていたのは、会場の最奥という厳しい現実でした。不安は尽きませんが、ここは戦場だと腹を括り、世界のバイヤーに挑戦する決意を新たにしました。 その9 電卓、電卓! 設営直前、肝心の価格設定を忘れていたことに気づき大慌て。電卓を叩いて急場を凌ぎ、準備を終えました。明日からの挑戦を前に、私たちはパリの夜に気勢を上げました。 その10 ビップ・プロダクツ 初参加のパリで、選りすぐりの「ビップ・プロダクツ」に。右も左も分からぬままの挑戦でしたが、私たちの技術が世界に認められたと確信した、最高の朝となりました。 その11 50着 アイスランドの女性がボレロ50着を即決で注文。商談に時間をかける日本流とは真逆の早さに衝撃を受け、「笠盛に革命が起きた!」と幸福感で満たされました。 第2章:オンリー・ワン その12 暇 パッタリ客足が途絶え、暇を持て余しました。ルール上客引きは禁止でも、パンフレット配布は禁止されていないと気付くと、私は会場での配布という打開策に打って出ました。 その13 意気盛ん! 準備不足で商機を逸して結果は赤字。それでも帰国便の私たちは意気盛んでした。世界に通用する手応えを胸に、少なくとも3年間は挑戦し続けると固く誓いました。 その14 転んで得たものは? 帰国便で片倉君は惨敗の分析を始めていました。なぜ売れなかったのか。この挑戦で何を得たのか。客の反応を徹底的に分析し、次の一手を練り上げる必要がありました。 その15 オンリー・ワン 我々の刺繍は「オンリー・ワン」だと確信しましたが、万人向けではありませんでした。ニッチを狙うか、広げるか。片倉君は次なる製品の構想を模索し続けていました。 その16 糸 2度目のパリで片倉君は、金属と糸が響き合うアクセサリーを目撃しました。刺繍を服から独立した主役にするという閃き。この瞬間、今の『000』の卵が産声を上げたのです。 その17 アクセサリー パリでの閃きを胸に、刺繍アクセサリー開発へ全社で挑みました。ケミカル刺繍に編みの技法を応用し、糸の風合いを活かす試行錯誤が夜毎繰り返されました。 その18 見えないゴール 開発が進むほど製品への不安が募りました。しかし悩むよりプロの目に問おうと、2009年の「モーダモン」へ勇気を持って出品。厳しい評価を覚悟の上で市場にぶつけました。 その19 DNA 初期製品が話題を呼び、一流ブランドからも認められました。しかし、まだ服の「付属品」扱い。服と対等な存在を目指す以上、この成功もまだゴールの半ばだったのです。 第3章:「珠」ができた! その20 珠(たま) 平面的な刺繍の限界を感じ、私たちは立体的な「珠」を夢見ました。でも、刺繍で球体を作ることは業界の常識では「不可能」。周囲の反応も非常に冷ややかでした。 その21 それは無理 刺繍での「珠」製作は、形状保持やコスト面で業界の常識外でした。当時の笠盛では社長も社員も全員が「無理」と断じ、商品化など夢にも思っていなかったのです。 その22 ブランド 下請けの不安定な立場を脱却し、経営安定と利益確保を目指し、2010年に念願の自社ブランド「000」を立ち上げました。長年の夢を実現するための大きな一歩でした。 その23 「000」誕生 2010年、「000」を立ち上げました。技術・素材・デザインの3要素と、常にゼロから挑む決意を込めたネーミングです。刺繍アクセサリーとクッションが二本柱でした。 その24 クッション クッションは初年度こそ好評だったが、翌年以降は原因不明の不振に。ブランドの危機を救うため、私たちはその理由を突き止めるべく徹底的な分析を始めました。 その25 赤信号 販売不振の原因は、主要顧客がモデルハウス用で、一般家庭には高価すぎたことでした。手間をかけたための価格が壁となり、クッション事業は危機的状況に符。 その26 ファクトリー・ブランド クッションの不振。強みである刺繍アクセサリーだけにブランドを絞り込み、全工程を自社で完結させることで「000」のブランドイメージを明確にすることにしました。 その27 社運を賭ける ブランドを刺繍アクセサリー一本に絞ったが、飛躍には決定打がいる。そこで私たちは、過去に不可能と諦めた「刺繍の珠」の開発に、社運を賭けての再挑戦を始めました。 その28 トライ・アンド・エラー 平面刺繍の技術で3次元の「珠」を創ることは、住宅設計者が超高層ビルに挑むような難題です。失敗を重ねながら、手探りの試行錯誤による挑戦が始まりました。 その29 できないねえ 機械で刺繍の「珠」を量産する試みは失敗の連続でした。冬から春へ季節が巡り、展示会まで1ヶ月を切っても完成の兆しはなく、焦燥だけが募る日々が続きました。 その30 珠が、できた! 創造の苦悩と戦い続けた2013年5月、ついに悲願の「珠」が完成しました。ミシンから吐き出された107個の完璧な珠の連なり。試行錯誤が実を結び、2人は静かな歓喜に包まれました。 その31 2個に1個 玉の技術は完成したものの、歩留まりは50%という厳しさ。展示会直前だったため割り切り、夜を徹した突貫作業で商品確保を急ぎましだ。技術の限界に挑む必死の挑戦でした。 その32 スフィア 刺繍技術の粋を集め、1組の糸で玉と紐を創り上げた「スフィア」。2013年の展示会では「今年の一押し」の中心に抜擢されました。私たちの挑戦が認められた瞬間でした。 その33 経営の柱に 生産効率も劇的に改善し、当初の目標だった「経営を支える柱」として「000」が完全に確立されました。6年間の苦難を乗り越え、諦めない努力がとうとう報われたのです。