本に間に合わなかったこと その2

考えて見れば、明治10年にしろ13年にしろ、明治維新という激動期からそれ程時間がたっていません。本にも書いたように、明治10年には西南戦争が起きており、まだ混乱は続いていたと思われます。

それに、日本は明治維新を機に近代的な資本主義制度を取り入れたわけですが、わずか10年ほど前までは江戸時代の経済システムが継続しており、事業に対する感覚も今の私達とはよほど違う江戸時代の尻尾を引きずっていたものと思われます。事業、あるは会社という概念が曖昧だったのではないでしょうか。

2021年のNHKの大河ドラマ「青天を衝け」では、幕臣としてフランスに渡った渋沢栄一が「コンパニー(会社)」という事業形態を知るのは1867年、幕末のことです。そして渋沢がパリにいる間に故国では大政奉還が起き、明治の世に移ります。明治10年とは、それからわずか10年しかたっていないのです。

工場通覧など、政府の産業政策の基礎となる調査データが出来たのがやっと明治に終わりになってからのことです。新しい近代的な経済制度が日本に定着するにはその程度の時間がかかったのでしょう。

ということを考え合わせると、恐らく、嘉吉は明治10年に家内工業として仕事を始め、それが「創業時期」として我が家に伝わったのだと思われます。

ところが、明治の末になって政府の調査が始まった。調査書を見ると、「創業年月」という項目がある。さて、「笠盛工場」が立ち上がったのはいつだろう? 家族だけでやっている家内工業では、工場とは呼べまい。では、従業員を雇用して工場らしい体裁を整えたのはいつだ?