本に間に合わなかったこと その4

ところが、どうしてもたどれなかったのです。笠原吉郎は明治11年に没し、その血筋は才四郎(大正10年没)、吉太郎(昭和29年没)と引き継がれます。ところが、私の「笠原」家とのつながりが見えてこないのです。

すでに「笠盛の履歴書」でも書いたように、「笠盛」の初代嘉吉は、笠原藤吉の長女ヨネと一緒になって笠原姓を名乗りました。だから、笠原嘉吉と縁が続いているとすればヨネの血筋のはずです。大正7年に身罷ったヨネは才四郎とほぼ同世代ですから、その父藤吉は笠原吉郎の世代ということになる。そこまでは分かったのですが、さて、ヨネと才四郎がどんな関係だったのかが分からない。

分からなければ字にすることは出来ません。後ろ髪を引かれる思いを抱えながら、本まとめる際には触れないことにしました。

実は、いまでも決定的な資料を手に入れたわけではありません。しかし、

「ほぼ間違いないのではないか?」

という資料が手に入りました。遠い親戚の方が笠原才四郎の戸籍謄本の写しをお持ちだったのです。そこには、才四郎の住所として

桐生市新宿

と記されていました。同じ新宿には同じ時代に笠原嘉吉、ヨネも住んでおり、いわばご町内の間柄だったわけです。

すでに書きましたが、笠原という姓は桐生でもそれほど多くはありません。そして当時は、親族は特定の地域に寄り集まって暮らすことが多かったように思います。とすれば、笠原才四郎と笠原ヨネは兄妹、あるいはいとこ同士ではなかったかと推測出来るではありませんか!