「笠盛」の履歴書 — その18 低空飛行
子どもの頃の私は、よく言えば「夢見がちな少年」、普通にいえばいつもボーッとしているとらえどころのない子どもでした。外に出て同じ年代の子どもたちと歓声を上げながら遊ぶことはあまり好きではなく、家に引きこもって読書の世界に...
第2部 「笠盛」の履歴書子どもの頃の私は、よく言えば「夢見がちな少年」、普通にいえばいつもボーッとしているとらえどころのない子どもでした。外に出て同じ年代の子どもたちと歓声を上げながら遊ぶことはあまり好きではなく、家に引きこもって読書の世界に...
第2部 「笠盛」の履歴書献上帯で桐生の帯出荷の3割を占めて隆盛を極める事業家の実質的な長男。子守に身の回りの世話をしてもらい、時には母に負ぶわれて育つ子ども。 皆様の目には、私は銀のスプーンをくわえて誕生した、生まれながらの幸運の持ち主と写...
第2部 「笠盛」の履歴書父まで3代に渡る「笠盛」の歴史は、私の記憶に残る限り書き尽くしました。いよいよ自分の事を語らねばなりません。父や祖父、曾祖父のことを語るのは思い出話ですからやりやすいのですが、自分の事となるとやや緊張します。決して無責...
第2部 「笠盛」の履歴書当時、機屋に返品はつきものでした。それも、 「売れ残ったから引き取れ」 ではありません。当時は完全買い取り制で、売れ残ったからといって機屋が引き取るいわれはありません。買継が持ってきた返品の帯には 「これは不良品だ。...
第2部 「笠盛」の履歴書勝については、どうしてももう1つ書き残しておかなければならないことがあります。 勝は挑戦者であり、開拓者であったことはすでに書きました。勝が創り出した新しい帯が世の中から大きな賞賛を受けたことも御説明した通りです。 ...
第2部 「笠盛」の履歴書勝が成し遂げた最大の成果は、父である盛の研究を引き継いで完成させた「笠盛献上」という帯です。 献上帯とは、献上柄といいわれる柄を織り込んだ帯です。献上柄は「独鈷(どっこ)」といわれる密教の仏具を写した柄と、仏の供養を...
第2部 「笠盛」の履歴書織物に、紋織りという技法があります。地とは違った色の糸や、同じ色でも太さや組成が違う糸を組み合わせ、織り柄を作るのです。 地とは違う糸を組み合わせて織り柄を作るのですから、織り上がると、柄を入れるために使った糸の余り...
第2部 「笠盛」の履歴書結核を患った勝でしたが、軍事が国の中心となり、さらには敗戦の色が濃くなって、軍は猫の手も借りたくなったのでしょう。勝は2度も戦争に駆り出されました。兵隊としては、結核の病歴があったためか全く昇進せず、2度とも「二等兵」...
3代目になる父・勝(1912―1988)が家業を引き継いだのは終戦後間もなくのことでした。父は15、6歳の頃から仕事を手伝っていたといいますから、日々の仕事を通して、On The Job Trainingで盛の薫陶は充...
第2部 「笠盛」の履歴書それでも昭和恐慌の波はやがて収まり、「笠盛織物」は昭和10年頃には巨額の借金も返し終えて事業は順風に乗りました。 このころ、日本では軍靴の響きが急速に高くなりました。昭和6年には満州事変が始まり、翌7年には第一次上海...