「笠盛」の履歴書 — その28 順風満帆
何とか黒字化を果たせて一息ついたとき、思いもしなかった追い風が吹きました。それも、地元にちなんでいうならば、赤城おろしにも似た強い風だったのです。 四色に塗り分けられた傘のマークをご記憶でしょうか? アーノルド・パー...
第2部 「笠盛」の履歴書何とか黒字化を果たせて一息ついたとき、思いもしなかった追い風が吹きました。それも、地元にちなんでいうならば、赤城おろしにも似た強い風だったのです。 四色に塗り分けられた傘のマークをご記憶でしょうか? アーノルド・パー...
第2部 「笠盛」の履歴書小野常務が寄せてくれた好意は、まさに干天に慈雨でした。いわれた通りアパレルメーカーに足を運ぶと、2、3の工場を紹介していただくことができました。イタバシニットが強く押してくれたのに違いありません。 紹介された先を訪ね...
第2部 「笠盛」の履歴書1年ぐらいは全く仕事になりませんでした。帰りの電車で苦い缶ビールを飲みながら 「ああ、今日もダメだった。こんな調子ではうちの会社はいつまで持つんだろう」 なんてため息ばかりついていました。 でも、不思議なことに、 ...
第2部 「笠盛」の履歴書ずっと続いてきた取引先は、ほぼ壊滅状態です。受注量は前年から半減。「笠盛」が生き延びるには新しい注文が何としてでも必要です。 既存の取引先が総崩れに近い状態です。やむなく私は飛び込み営業を始めました。これまで取引実績...
第2部 「笠盛」の履歴書当時の「笠盛」の受注先は和服関連と靴下・ニット関連に分かれていました。和服は桐生市内の他、京都、新潟県十日町に集中し、こちらには営業担当がいましたので、私は靴下・ニット製品の取引先を受け持ちました。ほとんどが東京で、1...
第2部 「笠盛」の履歴書実家に戻った私は、まず刺繍用のミシンが並んだ工場に入りました。それまでは実家の仕事には全くといっていいほど関心を持たず、ノーテンキに過ごしてきた私ですが、家業を継ぐとなればまず刺繍のことを知らねばなりません。「笠盛」は...
第2部 「笠盛」の履歴書それでも就職が決まり、私は検査課に配属されました。横浜市戸塚にある日立製作所のソフトウエア工場につめて、他の人が開発したソフトがコンピューターで正常に動くかどうか検査するのが仕事です。 いまコンピューターというと、ほ...
第2部 「笠盛」の履歴書決まっていたはずの人生行路が狂い始めたのは、父が帯の機屋を廃業したのが始まりでした。大学3年か4年の時です。帯が売れなくなったから、帯はやめて刺繍を専業にする、というのです。和服離れが進んで帯の需要が激減した昭和30年...
第2部 「笠盛」の履歴書桐生高校を卒業して、大学は中央大学理工学部管理工学科に進みました。 私は実質長男ですから、家業を継ぐのは当たり前、というのが父の考えで、私もそんなものだろう、と思っていました。中学、高校ぐらいの年代になると 「人生、...
第2部 「笠盛」の履歴書中学時代、母がたいそう喜んでくれたことがあります。 小学校5年から少しずつ成績が上がり始めましたが、体育だけは「良くて4」、「悪ければ2」が定位置でした。それが中学2年で、何とオール5になったのです。母はもうこれ以上...