本に間に合わなかったこと その3

岩瀬吉兵衛には余程発明の才があったのでしょう。撚りをかけるのに手間がかかって困るという地元桐生の悩みを何とかしようと京都まで水車の使い方を研究しに行き、戻ると水力を利用した撚糸機を作り上げたのです。これを「八丁撚糸機」といいます。ベルトの代わりに太い糸を使って糸巻きを回転させる自動機械で、一度に数十本の糸に撚りをかけることが出来ます。天明3年(1783)のことでした。強撚糸を緯糸に使う「お召し」の生産を得意とした桐生への貢献は多大なものでした。

さらに岩瀬吉兵衛の孫、笠原吉郎(笠原佐平治の養嗣子となった)は、祖父の発明をさらに一歩進め、撚った糸を巻き取る糸巻きの回転数を測る装置を発明しました。これで撚られた糸の長さを正確に知ることができるようになりました。完成の度を一段と高めた八丁撚糸機は広く普及したといいます。

突然の話が随分長くなりましたが、もうお気付きかも知れません。桐生の偉人にあげられることが多い岩瀬吉兵衛の孫が笠原の家に入って笠原吉郎となりました。吉郎ももちろん、桐生の偉人のひとりです。そして、桐生に「笠原」を名乗る家はそれほど多くはありません。

「私は笠原吉郎、ひいては岩瀬吉兵衛の血を引いているのではないか?」

とは本を書くために笠原家の歴史を調べているときから、私のテーマの一つでした。それが立証できたからといって威張るわけではありませんが、私があの2人の末裔なのだと分かれば少しばかりワクワクするではありませんか。