2回目の「モーダモン」出展も、事業としてみれば、誇れるほどの成果は上げられないまま終わりました。
しかし、日本に戻ると、片倉君は闘い始めました。自分の頭に灯ったアイデアを形にする苦難の道に足を踏み入れたのです。
いや、もう片倉君だけの闘いではありませんでした。「モーダモン」の会場で自分が得たアイデアを職場で説明すると、みんなの目の輝きが増したのです。あの時片倉君に宿ったアイデアは、「笠盛」社員全員の目標になりました。全社を挙げて、刺繍で造るアクセサリーの開発に取り組み始めたのです。
活かす技術は、「笠盛」が得意としているケミカル刺繍です。最後には生地を溶かしてしまうので、「独立」した刺繍だけが残ります。糸でアクセサリーを造るには、「笠盛」が自家薬籠中のものにしているこの技術を、さらに高めていかなければなりません。
しかし、ケミカル刺繍には大きな問題がありました。後に台紙になっている生地を溶かしてしまうのですから、普通に刺繍をしたのでは糸がバラバラにほどけてしまいます。そうならないように、ミシンで縦横に縫って固めてから生地を溶かすのですが、これでは、「独立」した刺繍にはなっても、出来上がりはガチガチに固まってしまって風合いがなくなります。女性用下着の飾りとしてならそれでもいいのかも知れませんが、女性の首筋や胸元や耳など外見を飾るアクセサリーとしては具合が良くありません。せっかく糸で、これまでどこにもなかったアクセサリーを作るのです。宝石や金属とは全く違った糸の風合いは絶対に残さねばなりません。
では、どうしたら糸の風合いを残せるのか。模索が続きました。考えに考えた末、「笠盛」の技術者集団は編み物の技法を刺繍に取り入れることを思いつきました。糸を縫い重ねてほどけないようにするのではなく、糸を絡めることでばらけないようにするのです。
といっても、刺繍は複雑です。同じ編み方でマフラーでもセーターでもできる編み物と違い、一つ一つのデザインについて、どこからどこに糸を回して絡めるのか、糸の端がほぐれないようにするにはどうしたらいいか、を工夫しなければなりません。刺繍はデザインが違えば一つ一つ糸の廻し方、絡め方が変わってくるのです。
しかも、使うのは「編む」為の編み機ではなく、「縫う」ために作られ、「編む」事は考えられてはいないミシンなのです。デザインを1つ起こすたびに考え、工夫し、試行錯誤しながら糸の回し方、絡め方を生み出していかねばならないのです。
みんな一所懸命になってくれました。社長の私が指令を出したわけでもないのに、誰かが言い出してくれたのか、いつの間にか、毎日の日常的な仕事が終わった夜の時間が、世界のどこにもない、刺繍だけで作った新しいアクセサリーを生み出す開発の時間になっていました。
全社が一丸になりました。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)

















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