「笠盛」の履歴書 — その19 オール5

 中学時代、母がたいそう喜んでくれたことがあります。

 小学校5年から少しずつ成績が上がり始めましたが、体育だけは「良くて4」、「悪ければ2」が定位置でした。それが中学2年で、何とオール5になったのです。母はもうこれ以上はないというほど大喜びし、「康利がオール5になったよ!」と親戚に話していたことを思い出します。この時が一番親孝行したと思っています。

桐生高校では、1年の期末試験の前日、校舎が全焼しました。夜遅くまで試験勉強し、朝起きたら、母が

「桐高が火事で燃えたよ!」

というのです。慌てて家を飛び出して学校に駆けつけると、残っていたのは燃えて黒くなった柱だけ。期末試験は延期され、私たち生徒も後片付けを手伝いました。

 とにかく、期末試験がなくなったのです。私たちは開放感に包まれ、翌日から試験勉強はそっちのけです。これは遊ばなきゃ。友達と3人で湯沢までスキー旅行です。泊まりがけだったのはいうまでもありません。

 この時一緒に行った仲間が、生涯の親友である太田徹君と松本静夫君です。

 親友とは悪さも一緒にする友のことです。いつも試験の前日になると、2人のどちらからか電話が来ます。

「もうやることはないだろう。映画に行こうよ」

 彼らは計画的に勉強し、前日までには勉強を終えていたのでしょう。しかし、私はどちらかというと一夜漬けタイプでした。私の試験勉強はこれから始まるのです。ん、映画?

「ま、いいか」

 こうして、試験の前日は映画鑑賞、が高校時代の定番でした。もちろん、成績は小学校時代に戻って低空飛行の連続でした。オール5の威光はこうして消え去りました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)