当時の「笠盛」の受注先は和服関連と靴下・ニット関連に分かれていました。和服は桐生市内の他、京都、新潟県十日町に集中し、こちらには営業担当がいましたので、私は靴下・ニット製品の取引先を受け持ちました。ほとんどが東京で、10数社ありました。
仕事を出してくれていた会社を訪ね、初対面の挨拶もそこそこに、仕事の話に入ります。しかし、行く先行く先、所は変わっても戻ってくる反応はまるで申し合わせたかのように同じでした。
「悪いね、仕事が出せなくて。でも、うちも商品が売れなくて困ってるんだよ。仕事を出したくても、その仕事がない。大変な時代になっちゃったなあ。これからどうなるんだろう?」
手ぶらで桐生に戻るのは私だけではありませんでした。京都、十日町と回ってきた和服担当も
「全くダメです。どこも仕事をくれません」
と暗い顔をして報告するのです。
2月、3月と時がたつにつれてますます不況は深まり、仕事は前の年の半分にまで減りました。倒産。そんな単語が頭に浮かんだのは私だけではなかったのでしょう。
「お前には悪いことをしてしまったのかも知れない。こんなことになると分かっていたら呼び戻したりはしなかったのだが」
父がポツリと口にした一言が頭から離れません。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)















