「笠盛」の履歴書 — その10 結核
3代目になる父・勝(1912―1988)が家業を引き継いだのは終戦後間もなくのことでした。父は15、6歳の頃から仕事を手伝っていたといいますから、日々の仕事を通して、On The Job Trainingで盛の薫陶は充...
3代目になる父・勝(1912―1988)が家業を引き継いだのは終戦後間もなくのことでした。父は15、6歳の頃から仕事を手伝っていたといいますから、日々の仕事を通して、On The Job Trainingで盛の薫陶は充...
第2部 「笠盛」の履歴書それでも昭和恐慌の波はやがて収まり、「笠盛織物」は昭和10年頃には巨額の借金も返し終えて事業は順風に乗りました。 このころ、日本では軍靴の響きが急速に高くなりました。昭和6年には満州事変が始まり、翌7年には第一次上海...
第2部 「笠盛」の履歴書盛は苦労と縁が切れない人でもありました。 最大の苦難は昭和恐慌だったようです。 1929年10月24日、ニューヨーク株式市場で株価の大暴落が起きました。28、29日には株価は壊滅的に崩れ、「ブラック・サーズデー」「...
第2部 「笠盛」の履歴書話を元に戻しましょう。 2人を結びつけるきっかけはテツが寄せた思いだったのか、家業をもっと盛り上げようという嘉吉の計算だったのか、あるいはきっかけなどなく、若い2人がいつしか相思相愛の仲になっていて結ばれたのかは分か...
私の一族は女系家族であるようで、2代目盛(もり・1886―1960)も入り婿でした。嘉吉の2人の男の子がそろって夭折したためでした。記録では明治44年(1911年)、盛は嘉吉の長女テツと結婚し、笠原を名乗っています。 ...
第2部 「笠盛」の履歴書こうして明治10年、嘉吉は事業家への道を歩み始めました。藤吉の許しを得て笠原家の地所の一画に工場を建て、力織機を並べました。動力源は、敷地のすぐ前を流れていた掘り割りの水流で回す水車でした。親の助力を得たとはいえ、いま...
第2部 「笠盛」の履歴書私は、数えて4代目の社長です。明治10年、帯専業の機屋としてこの会社を興した笠原嘉吉(かさはら・かきち・1856―1918)は私の曾祖父、ひいおじいさんにあたります。 笠原家は、江戸時代から織都桐生で糸を商う商家でし...
第2部 「笠盛」の履歴書当時の桐生を知っていただくためには、時代を少し遡る必要があります。 この年から10数年前、幕末の桐生には騒然とした空気がありました。絹織物で繁栄を続けてきた桐生が、その原料である絹糸の不足に見舞われたのです。 突然...
第2部 「笠盛」の履歴書「笠盛」が事業を始めたのは明治10年(1877年)のことです。260年続いた江戸幕府が、15代将軍徳川慶喜の大政奉還で終わりを迎え、代わった明治維新政府が富国強兵、殖産興業の2大目標を掲げて近代国家への脱皮を目指しはじめ...
第2部 「笠盛」の履歴書第一部では、いまの「笠盛」を支える中核事業であり、これからの「笠盛」を牽引してくれるに違いない「OOO」に焦点を合わせて会社の歴史を振り返りました。この第二部では、創業時から今日までを辿ってみたいと思います。明日を語る...