「笠盛」の履歴書 — その30 決断
危険な臭い――まず、町が何とも暗いのです。 それに、同行してくれた三井物産の人が 「ここでは1人で歩かないでください」 「バスには絶対に乗ってはいけません」 「歩道橋は渡らないで下さい。歩道橋の両側から迫られたら逃げ...
第2部 「笠盛」の履歴書危険な臭い――まず、町が何とも暗いのです。 それに、同行してくれた三井物産の人が 「ここでは1人で歩かないでください」 「バスには絶対に乗ってはいけません」 「歩道橋は渡らないで下さい。歩道橋の両側から迫られたら逃げ...
第2部 「笠盛」の履歴書大失敗に終わったインドネシアに出たのは1992年のことでした。石油危機による不況のさなかに大変お世話になったイタバシニットが4年前に現地生産を始めておられ、 「『笠盛』さんも現地に工場を持って協力してくれないか」 と...
第2部 「笠盛」の履歴書何とか黒字化を果たせて一息ついたとき、思いもしなかった追い風が吹きました。それも、地元にちなんでいうならば、赤城おろしにも似た強い風だったのです。 四色に塗り分けられた傘のマークをご記憶でしょうか? アーノルド・パー...
第2部 「笠盛」の履歴書小野常務が寄せてくれた好意は、まさに干天に慈雨でした。いわれた通りアパレルメーカーに足を運ぶと、2、3の工場を紹介していただくことができました。イタバシニットが強く押してくれたのに違いありません。 紹介された先を訪ね...
第2部 「笠盛」の履歴書1年ぐらいは全く仕事になりませんでした。帰りの電車で苦い缶ビールを飲みながら 「ああ、今日もダメだった。こんな調子ではうちの会社はいつまで持つんだろう」 なんてため息ばかりついていました。 でも、不思議なことに、 ...
第2部 「笠盛」の履歴書ずっと続いてきた取引先は、ほぼ壊滅状態です。受注量は前年から半減。「笠盛」が生き延びるには新しい注文が何としてでも必要です。 既存の取引先が総崩れに近い状態です。やむなく私は飛び込み営業を始めました。これまで取引実績...
第2部 「笠盛」の履歴書当時の「笠盛」の受注先は和服関連と靴下・ニット関連に分かれていました。和服は桐生市内の他、京都、新潟県十日町に集中し、こちらには営業担当がいましたので、私は靴下・ニット製品の取引先を受け持ちました。ほとんどが東京で、1...
第2部 「笠盛」の履歴書実家に戻った私は、まず刺繍用のミシンが並んだ工場に入りました。それまでは実家の仕事には全くといっていいほど関心を持たず、ノーテンキに過ごしてきた私ですが、家業を継ぐとなればまず刺繍のことを知らねばなりません。「笠盛」は...
第2部 「笠盛」の履歴書それでも就職が決まり、私は検査課に配属されました。横浜市戸塚にある日立製作所のソフトウエア工場につめて、他の人が開発したソフトがコンピューターで正常に動くかどうか検査するのが仕事です。 いまコンピューターというと、ほ...
第2部 「笠盛」の履歴書決まっていたはずの人生行路が狂い始めたのは、父が帯の機屋を廃業したのが始まりでした。大学3年か4年の時です。帯が売れなくなったから、帯はやめて刺繍を専業にする、というのです。和服離れが進んで帯の需要が激減した昭和30年...