「笠盛」の履歴書 — その3 笠嘉織物

 当時の桐生を知っていただくためには、時代を少し遡る必要があります。

 この年から10数年前、幕末の桐生には騒然とした空気がありました。絹織物で繁栄を続けてきた桐生が、その原料である絹糸の不足に見舞われたのです。

 突然浦賀沖に姿を見せた黒船の圧力に屈した江戸幕府は1859年、長く続けてきた鎖国政策を放棄して開国に踏み切りました。横浜、長崎、函館を米・英・仏・露・蘭の五カ国に開港したのです。港が開かれると、貿易が始まります。当時、日本からの輸出品の主力は絹糸でした。

 群馬は絹糸の一大産地でした。桐生が織物の街として繁栄したのも、すぐ近くで豊富な絹糸が手に入ったことが背景にありました。その絹糸のほとんどが輸出に回るようになったのです。当時、絹糸を輸出すると、国内販売の10倍の利益が出ていたといいます。生糸商が手持ちの生糸のほとんどを輸出に向けたのも無理からぬところでした。

 あおりを受けたのが絹織物産地の桐生です。生糸価格が暴騰しただけではありません。お金を出しても生糸がなかなか手に入らなくなったからです。桐生の街から機音が消えました。困り切った織物業者は当時の大老井伊直弼、老中間部詮勝(まなべ・あきかつ)に直訴に及びました。それでも事態は変わらず、桐生の景気はどん底に落ち込みました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)