こんにちは。取締役経理部長の笠原裕子です。今回のテーマは「勉強すき」です。
注意ください。
「勉強すき!」
でもなく、
「勉強すき?」
でもありません。単に
「勉強すき」
です。私流に解釈すれば、
「私、勉強大好き! ね、あなたも勉強を好きになろうよ。面白いんだから!」
でもなく、
「あなた、勉強好き? だめよ、勉強しなくちゃ」
というのでもありません。もっとフラットに「勉強」に向かい合い、勉強って何なのか、なぜ必要だといわれるのか、本当に必要なのか、必要だとしたら、私たち「笠盛人」に必要な勉強とは何なのか、を考えてみようという試みです。勉強の入門編、といってもいいかと思います。
というテーマのリーダーになったのですが、実は私、勉強が嫌いでした。中学まではそこそこ面白かったのですが、高校に入って暗記物と言われる日本史、世界史で
「そんなことまで覚えなくちゃいけないの!」
とびっくりした瞬間、勉強が嫌いになっていました。英語も面白くなかったし……。それなのに、これも暗記物に入れていいと思うのですが、化学だけは好きで、テストでもそれなりの点数を残していました。実に矛盾した私ですが、ひょっとしたら「勉強」の扉を開けるヒントがそのあたりにあるのではないか? と期待しつつ、このテーマに取り組みました。
さて、「勉強」って何でしょう? 私が嫌いになった学校での勉強は、言い換えれば記憶力のコンテストでした。たくさん覚えた人が勝ち、という単純なゲームだったともいえます。日本史、世界史だけでなく、数学だって公式をどれだけ覚えたかが勝負の決め手で、英語だって単語をたくさん覚えれば何とかなる。
人にはいろんな能力が備わっています。そのうち、主に記憶力だけで結果が左右されたのが高校までの勉強だったような気がします。これでは、たまたま記憶力に恵まれていない私のような生徒が勉強を嫌いになるもの仕方ないのではないでしょうか?
もう1つ、高校までの勉強では、勉強の成果を試すテストには、必ず1つだけの回答がありました。その1つだけの回答を導き出せなければ✖️をもらいます。
でも、世の中ってそんなに単純なものなのでしょうか? Aという答もあれば、考えようによってはBもCも正解といえる。私たちはそんな複雑な社会で生きているのではないかと私は考えます。1つしか答を認めてもらえないのでは、勉強が嫌いになっても仕方がないかと……。ひょっとしたら、これは私の弁解かも知れませんが。
さて、それでは私たち社会人に求められる勉強とは何なのでしょう? 普通は
「ビジネス書を読んで経営手法、仕事の進め方などを吸収すること」
と考えられているように思えます。しかし、本に書いてあることを金科玉条として一所懸命覚えるのが「勉強」なら、解答が1つしかなかった高校時代と全く同じです。私たちは、相変わらずそんなことをしなければならないのでしょうか? そもそも、嫌いにならずにそんなことを続けることが出来るでしょうか?
じゃあ、いまの私たちにとって勉強っていったい何なのでしょう? ネットや本を頼りに考えてみました。
・本を読んだり人から聞いたりして新しい知識を吸収する
・その知識を実際に使用してみる
・使用してその結果を体験することを何度も繰り返す
・その繰り返しの中から自分なりの方法を見つけ出す
・自分なりの方法、技術、パターンを身につける
つまり
・知識を外から取り入れる(インプット)
・自分の中でその知識を消化して血や肉にする
・身についた知識を使ってみる(アウトプット)
この一連の流れが、私たちの勉強ではないでしょうか。
考えてみれば、人類とは言葉と道具と火を使う動物だと言われます。
言葉は、言葉というものがある、という知識を得ただけでは役に立ちません。単語をいくら記憶しても同じです。言葉のルールと単語をしっかり身につけた上で、その知識を使って自分の思いを相手に伝え、相手が伝えようとしていることを理解できる、言い換えればとコミュニケーションができるようになって初めて役に立つわけです。
道具も同じで、知って、使ってみて、この道具はこんな場合にこういう風に使えば役に立つと分かって使いこなせるようになります。火も、落雷などで自然に起きた火の性質を知り、自分で火をおこす方法を見つけ出し、煮炊きや暖房に仕えるようになって人類になくてはならないものになりました。
それが「勉強」なのだと、私は考えるようになりました。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)















