その4 八方破れ

 モノ作りは日本だ。刺繍は桐生である。だから、そこに生産の根拠地を置いて海外に出る。日本の桐生から世界に打って出る。

 相変わらずインドネシアの後始末に追われながら、私の決意はますます揺るぎないものになりました。それができなければ「笠盛」に明日はないとまで思い詰めました。

「だが、どうやったら実現できる?」

 インドネシアの後始末が一段落してゆとりが生まれたとき、私は突然、戸惑いに襲われました。大方針はあります。だが、それを現実にする手立ては?

 ない。

 どう探しても、私の中に具体案がないのです。このままでは絵に描いた餅です。私の中で生まれた自信も決意も、中身は空っぽのままだったのです。

 どう探しても自分に知恵が見つからなければ、他の人に知恵を借りるしかありません。思い余った私は、商社の伊藤忠を中途退社して独立していた知人に、私が考えた「笠盛」再建の大方針を説明し、知恵を貸してくれるようお願いしました。さすがに一流商社で世界を相手に戦った人です。すぐに答えを打ち返してくれました。

「その方針は素晴らしい。実現するには、まずパリの展示会に製品を出したほうがよい。パリはファッションの中心だよ。ここで刺繍の技術が評価を受ければ販路は世界中に広がるはずだ」

 なるほど、世界を相手にものを作るとはそういうことかと目の醒める思いがしました。

 私なりにいろいろと調べてみて、テキスタイル(布地)の世界的展示会である「プルミエール・ビジョン」に目標を定めました。ここを主戦場としよう。でも目標は目標として、出展を「プルミエール・ビジョン」だけに限ることもなかろう。パリではいくつもの展示会が開かれているのです。こうなったら手当たり次第に出ちゃえ! 2007年はじめの決断でした。八方破れは私の得意技です。

 いまになってよくよく考えてみれば、「プルミエール・ビジョン」はテキスタイル、つまり生地の展示会です。一方で「笠盛」は刺繍の会社です。私たちは生地を織る機屋ではありません。刺繍しかできない「笠盛」が「プルミエール・ビジョン」に出展するなどというのは、かなりお門違いなのです。

 せっかくのアドバイスを受けながら、最初に定めた目標は無知と調査不足が生み出したトンチンカンな妄想にすぎませんでした。ところが、その妄想から飛び出した「八方破れ」が「笠盛」のいまに繋がっているのですから、まったく私らしい展開というほかありません。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)