天文学的、とまでは申しませんが、ちっぽけな「笠盛」には抱えきれないほどの膨大な債務が残りました。失意を抱えながら工場閉鎖の後始末、撤退作業に追われました。
「先祖から営々130年続けてきた会社を私が倒産させてしまうのか?」
あの時の絶望感をうまく表現する言葉はいまだに見つけることが出来ません。私の酒量も増えました。社長就任以来、曲がりなりにも会社を建て直し、経営を軌道に乗せたと自負していました。その鼻っ柱をたたきつぶされたのです。経営者として崖っ淵に立たされたあのときの気持ちは、いまでも私の身体のどこかにこびりついて離れてくれません。
打ちのめされながら、それでも、様々な逆境に遭遇しながらも会社を生き延びさせてきた曾祖父から父までの三代の経営者の血、なにくそ、という根性は私の中にも受け継がれていたのでしょう。無我夢中で飛び回りながら、いつしか
「このまま倒れてなるものか。絶対に生き延びてやる」
という反骨精神が私の中で生まれたのです。
そう思いながらも、最初は
「でも、できるか?」
と、自分でも半信半疑でした。ところが、何故か時を追って反骨精神はどんどん前向きになり、
「もう一度やる。刺繍の笠盛を再生する」
という強い決意に育っていました。
転んで起き上がるだけでは普通です。いや、転んだことが無駄です。せっかく転んだのだから、石ころでも何でもいい。何かを両手に握って起き上がらねばならない。それが会社を経営するということではないでしょうか。
何とか倒産だけは免れることが出来る見通しがたつと、私は必死に考えました。
私はインドネシアを世界に向けた生産拠点にしようとして失敗し、アジアに生産拠点を持つ難しさを骨の髄まで思い知らされました。ひょっとしたら、私たちと同じ刺繍の世界で、アジア諸国で作っても十分な品質を保つことができるノウハウをお持ちの企業はあるのかもしれません。あるいは、多少の品質劣化があっても、低コストを武器に市場を切り開く知恵を持つ会社もあるでしょう。しかし、少なくとも「笠盛」にはありませんでした。
一言で言えば、こういうことです。私たちは
「安く作れればいい」
という経営には不慣れだったのです。いまでもそれはできません。
では、どうすればいいのか。
「最高品質の刺繍ができるのは日本だ。世界中が認めるように、物づくりは日本の得意技なのだ。その日本でも、桐生は最高品質の繊維製品を生み出す街である。笠盛は世界で唯一の刺繍を日本の桐生で作り、世界に売るメーカーになる!」
そんな単純な経営哲学に立ち戻った時、何故か私の中に
「『笠盛』は絶対に潰れない!」
という自信が根を張り始めたのです。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)

















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