その14 転んで得たものは?

 後で話を聞くと、日本に戻る飛行機の中で私たちと気勢を上げながら、片倉君の頭脳の一部は高速回転していたそうです。すでに頭は翌年の「モーダモン」に向かっており、そのためにこれからやらねばならないことを見つけようと、惨敗に近かった5日間の分析に取り組んでいたのです。

 何故、「笠盛」の製品は100万円少々しか売れなかったのか? 特に、自分が手がけた「KASAMORI LACE」がほとんど売れなかったのは何故なのか?

 思いがけず「モーダモン」に出品できることが分かって、「KASAMORI LACE」を大急ぎで練り上げなければならなかった私たちは、それでも2つのテーマを設けて新しい商品の開発に取り組みました。

 ・他と差別化できるものにする

 ・世界と勝負できるものにする

 です。そんなものをどう作るか。

 大企業なら世界の度肝を抜くような全くの新機軸を打ち出し、人材を集め、必要なら新たに設備を入れて新しい製品を生み出すこともできたかも知れません。でも、「笠盛」にはそんな力はありません。地方の、1中小企業にはそんな資金力はないからです。いまの従業員で、いまある設備で、テーマを実現する製品を作り出さねばなりません。

「笠盛」が得意としてきたのはケミカル刺繍でした。水に溶ける生地に刺繍をし、縫い上げたあとで生地を溶かします。こうしてできた刺繍は生地がなくなるため、小物や洋服の衿、縁飾りなどに使われます。「笠盛」はそんな製品をたくさん揃えていました。

「このケミカル刺繍の技術を発展的に活用して新しい刺繍を生み出せないか?」

 と片倉君は考えて、今回の「モーダモン」には、限られた時間の中で、手仕事に近いふんわり感を出すことに力を注いだケミカル刺繍製品を創りました。

 しかし、彼の作品も多少は売れたとはいえ、売り上げはせいぜい10万円か20万円に過ぎません。バイヤーやデザイナーたちの評価はその程度で、とてもではありませんが「仕事」になったとはいえません。このままでは、将来「笠盛」の屋台骨の1本になってくれる商品に育つとは期待出来ません。

 もちろん、開発時間の問題も一因でしょう。もっと時間をかけて違ったデザインを生み出していれば、もともとの「KASAMORI LACE」は主催者の高い評価を受けたのですから、売り上げをもっと伸ばすことができたかも知れません。

 一年後の「モーダモン」に向けて、時間はたっぷりあります。では、その時間をどう使えばいいのか。

 それには、今回の「モーダモン」での客の反応をきちんと分析して活かすことを考えなければなりません。

 かなりの金を使って「モーダモン」に初めて出て、「笠盛」はいったい何を手に入れたのだろう?

 片倉君はそのように考えを進めました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)