その6 ところで

 無理に違いないと思っていた「モーダモン」への出展が認められた。会場には数多くのバイヤーが世界中から集まるはずだ。すでに送ったサンプルとは別に、どんなものを作って出せばいいのか? どんな商品なら世界のバイヤーの目を引くことが出来るのか?

 開催まで残り時間は限られていました。準備しなければならないことは山積みでした。

 ところが、なのです。

「おい、『モーダモン』ってどんな商品が展示されているのか、誰か知ってる?」

 情けないことに、「笠盛」には「モーダモン」を見たことがある社員が一人もいなかったのです。それどころか、「モーダモン」を調べてみたことがある社員も皆無でした。そんなところに「笠盛」の商品を並べるなんて考えたこともなかったのですから、やむを得ないことです。

 社長の私は、妻とパリに遊びに行ったことはありました。しかし、繊維製品の展示会に旅行の日程を合わせて覗いてみようなんて頭の片隅にも浮かびませんでした。単なるミーハーの、お気軽なパリ旅行を満喫したに過ぎなかったのです。

 せっかくパリまで行くのですから、世界の目を驚かすようなものが欲しいわけです。それまで作っていた商品の一番いいところはサンプルとして送り出していましたから、それに加えて新しい商品を開発せねばと考えました。それなのに、「モーダモン」を知る社員はゼロ。「000」を先取りするわけではありませんが、本当にゼロからの開発でした。

 引っ張ってくれたのは、入社してわずか2年足らずの片倉洋一君です。彼は日本の大学を出てロンドンに留学、最先端の地で最先端のテキスタイルとファッションを研究して帰国した逸材です。

 といっても、「笠盛」が会社の資金をつぎ込んで彼をスカウトし、育成したのではありません。彼は自分でヨーロッパに出かけ、勝手に勉強を重ねていたのです。そんな逸材が、インドネシアから撤退して会社が最悪の状態にあった時期の「笠盛」に突然現れ、何故か執拗に

「笠盛で働きたい」

 と日参してきたのです。

 当時の会社はこれまでご説明したように最悪の状態でした。いつ倒産するか分からないのですから、人を新たに雇用するゆとりなんてあるはずがありません。そんな説明をして何度も断ったのですが、彼は諦めてくれませんでした。やむなく、無責任にも彼の熱意に押されるように採用してしまったのです。

 実に困った社長、ではあります。

 展示品の開発は、「笠盛」ではその片倉君が中核となり、パリ出展をアドバイスしてくれた伊藤忠OBの知人とその奥さんも手伝ってくれました。奥さんは服飾デザイナーでもありました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)