その2 七転び

「000」の開発は事業の失敗がきっかけだった。

 これから始めようというお話しの冒頭からそう書いてしまうと多くの方々の失望を誘ってしまうでしょうか? しかし、事実をありのままにお伝えするには、そう書くほかありません。社運をかけて始めたインドネシアでの事業が大失敗に終わったことがいまの成功の始まりだったからです。インドネシアがうまく行っていれば私たちはその成功に酔い、「000」という、おそらく世界のどこにもないものを生み出そうなどというだいそれた野望は持たなかったはずなのです。

 いや、こうもいえます。

「000」は転んでもただでは起きない笠盛スピリットを象徴する商品だ、と。

「笠盛」は2001年、インドネシアに現地法人「P.T.KASAMORI」を立ち上げて刺繍の生産を始めました。「笠盛」の刺繍技術は世界のトップレベルにあると自負しています。だから狭い日本に閉じこもっていることはない。市場を世界に広げて世界中の人々に「笠盛」の刺繍をお使いいただきたい。そうであれば、海外にも生産拠点を持たねばならない。そう考えて国際化に打って出たのです。

 そのころ、日本の繊維産業を取り巻く環境は年々厳しさを増していました。円高で、国内賃金をドルに換算すると高くなりすぎていました。国際商品を日本で作れば相対的に高い賃金がコストを押し上げ、価格競争力を失います。このため、多くの日本の会社が雪崩を打つように生産拠点をアジアに移しました。アジア諸国は通貨が安く、ドルに換算した賃金は日本の数分の1、数10分の1だったからです。

 私にも、アジアの低賃金は魅力的に見えました。インドネシアを生産拠点にしてアジアの市場を開拓し、欧米にも進出して世界企業になりたい。インドネシアに最新鋭の工場をつくり、「笠盛」の未来を託そうと考えたのです。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)