その16 糸

 あれから1年間、私たちは必死でした。全社を挙げて魅力的な刺繍製品を模索したのです。それでも、翌年秋の「モーダモン」までに、

「これが『笠盛』だ」

 と胸を張って展示出来るような製品はとうとう生み出せませんでした。しかし、何があろうと3年間は出る、と決めたのです。私たちは採算など考えることなく、再びパリに乗り込みました。

 だが、せっかく来た以上は収穫を得たい。新製品開発の中核になった片倉君は前回のように会場をくまなく見て回り、他の会社はどんなものを出品しているのか、1つ1つ自分の目に焼き付けていきました。

 何日目だったのか、いまとなっては片倉君の記憶もあやふやです。でも、その時目にしたものは忘れられないといいます。

 そこは、アクセサリーを展示するブースが集まったコーナーでした。綺麗なケースに入ったネックレスがありました。それが、何故か片倉君の目を惹きました。なぜ目を奪われるのか分からないままのぞき込むと、フランスのデザイナーの手になる、と説明書きにありました。

「ああ、そうなんだ。糸はこんな使い方をしてもよかったんだ」

 片倉君は虚を突かれたような気がしたそうです。

 アクセサリーでは、糸は宝石や真珠、金属を繋ぐための紐にしか使われないのが普通です。片倉君を含む多くのデザイナーが、糸は布や紐になるものであり、糸で造る刺繍は服の飾りになるものだ、としか考えていなかったのです。

 ところが、目の前にあるアクセサリーでは、糸が自分の存在を主張していました。金属と対等の、金属と素晴らしいアンサンブルを奏でる装飾として使われていたのです。見たこともない取り合わせが、片倉君の目を引きつけたのでした。

 糸が金属に負けることなく美を創り出している。だったら、刺繍は独立していいのではないか。服の添え物になるのではなく、自分で自分を主張していい。自分だけで存在感を持つ、まったく新しい糸だけでできた刺繍のアクセサリーを創り出すことはできないか。

「ええ、1つの方向として、そんな世界があるなあ、ってその時閃いたんです」

 と片倉君は語ってくれました。

 服から独立した、でも服と響き合うアクセサリーを刺繍で創ることができれば、世界のどこを探しても、桐生の「笠盛」でしか造っていないオンリー・ワンのアクセサリーになります。

 片倉君の頭の中に、フッと降り立ったアイデアでした。

 いまの「000」の卵は、この瞬間に生まれ落ちたといってもいいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)