その8 戦場

 私たちを乗せた飛行機は成田空港を午前10時ぐらいに飛び立ち、時差の関係で現地時間では午後の早い時間にパリのド・ゴール空港に着きました。荷物を受け取ると、私たちは予約していたルーブル美術館の近くのホテルに向かい、夕食まで一休みです。パリの市街が宵闇に覆われ始めると、空腹を覚えた私たちはルーブル美術館内のレストランに出向きました。夕食をとりながら、現地での通訳をお願いした方も交えて最初の打ち合わせです。

 まずビールで乾杯しました。いかにも日本風の気勢の上げ方です。すっかりワイン党になったいまなら、当然フランスワインで乾杯と行くところです。ところが、私にとっては2度目のパリだったのにもかかわらず、当時の私はフランスワインのおいしさなど知らなかったのです。

 ビールの酔いに任せて一晩ホテルで熟睡すると、翌日は会場に出向いての準備です。朝早くから通訳の方が自分の車でホテルまで迎えに来てくださり、私たちを会場まで送っていただきました。4、50分のドライブで空港近くの会場に着きました。

 時計は午前八時を少し回っています。7つか8つのこぎれいな建物が並び、私たちが出展するのはそのうちのホール3と呼ばれる建物でした。

「ここで私たちの製品が世界のバイヤーから評価を受けるのか」

 並みいる世界中のライバルたちを向こうに回して、どれほど数多くのバイヤーの関心を引きつけることが出来るか、が私たちの勝負です。ホール3を見上げながら武者震いしました。初陣を前にした武士が、明日は命のやりとりをすることになる戦場を眺めやっているような気分、といえばご理解いただけるでしょうか。

 ところがその武者震いは、ホール3に入って「笠盛」に割り当てられたブースに行き着くと、当惑に変わりました。

「こんな場所か……」

 入り口から見て一番奥、最も遠いところにあったからです。考えてみれば、私たちは何の実績もない新参者ですから仕方がないのかもしれません。でも、新参者だから思うこともあります。

「バイヤーたちは『笠盛』なんて聞いたこともないはずだ。こんな奥の方にまで彼らは足を運んでくれるのだろうか……」

 が、すでに賽は投げられたのです。ブースの割り当ては主催者の権限です。割り当てられたブースがどれほど不満であっても、私たちにできることは何もありません。明日、この、入り口から最も遠い、10平方メートルにも足りない狭いブースが、世界のバイヤーたちと私たちとの間で始まる「勝負」の戦場になるのです。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)