その1 始まり

 私が経営を受け継いだ「笠盛」は刺繍を専業としていました。いまでもそれは変わりませんが、ご存じのように、刺繍業とは受注産業です。織物、編み物に刺繍を施したいと思う発注先があって初めて仕事が生まれます。もちろん、より多くの受注をいただくための営業活動に力を注いではいますが、発注先の事情が私たちの努力とは別のところにあります。どれほど足繁くお願いに伺おうと、発注先に

「刺繍をしたい」

 という意向がなければ注文はいただけません。あるいは、発注先に「笠盛」を選んでいただけなければ、仕事がありません。言い換えれば、自分たちの努力とは関係ないところの事情に振り回される下請け産業なのです。

 ご承知のように、日本の繊維産業は時を追って衰退の度を強めています。賃金の安いアジア諸国に仕事を奪われているのです。それは刺繍業も同じです。賃金格差だけでなく、アジア諸国の技術力も年々上がっています。これまでは日本国内でしかできないと思われていた刺繍が、賃金がはるかに安いアジア諸国でもできるとなれば、刺繍の発注先が「笠盛」を含めた国内からアジア諸国に移っていくのは誰にも止めることはできません。

 そのような環境の中で、「笠盛」の受注量も年々減り続けています。「笠盛」が受注だけに頼る刺繍業であったら、今頃はすでに消え去った会社になっていたかも知れません。

「いい仕事をする刺繍屋さんだったんだけどねえ。『笠盛』さんも時代の流れには勝てなかったということだろう」

 と繊維業界の昔話に登場するエピソードの一つとして、関係者の記憶にだけ生きる会社だったかもしれません。

 しかし、「笠盛」は立派に生き続けています。それどころか、利益率は上がりつつあります。

 それは、ひとえに「000(トリプル・オゥ)」という、市場と直結した独自ブランドのアクセサリーを私たちが持ったがゆえの成果です。当初は取るに足りない売り上げしかなかった「000」が2018年度、売り上げの3分の1を超え、経営を支える大黒柱に育ってくれました。

 いまの「笠盛」は「000」抜きでは語れません。私の思い出話は、「000」から始めたいと思います。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)