その5 てんやわんや

 とにかく、手だけは挙げた。大方針の元、最初の一歩は踏み出した。「笠盛」は将来ビジョンに一歩近付いた。

 とはいえ、出られるはずはないのですから、あとはやることはありません。てんやわんやの応募作業が終わると、日常の仕事に戻りました。

 ぼんやりと、

「私たちの本来の狙いはプルミエール・ビジョンである。本命に向けてこれから何を開発して出展に備えようか?」

 と考えていた程度です。「プルミエール・ビジョン」まではまだ時間がありましたので、あまり焦りませんでした。

 ところが、なのです。それから一ヶ月ほどたって、応募したことすら社内の話題から消えたころでした。

「出展してよろしい」

 との返事が「モーダモン」から届いたのです。

「嘘だろ?!」

 今回の出展はありえない、と決めてかかっていた私たちには驚天動地の知らせでした。「モーダモン」が門戸を開いてくれたということは、私たちが送ったサンプルが出展に値する品質を供えている、「笠盛」の刺繍技術は世界で通用するものだ、と太鼓判を押していただいたことになります。その面では、社員みんなで乾杯しながら飛び上がりたくなるほど嬉しい知らせではありました。

 だけど、私たちは慌てました。

「おい、サンプルとしてパリに送ったのは何だっけ?」

 わずか1ヶ月前に発送したサンプルの中身すらうろ覚えだったのです。どこかにメモが残っていないかと事務所を探し回り、あの時応募作業に関わった社員を集めて記憶を呼び起こしてもらい……。

 再び社内のてんやわんやが始まりました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)