「笠盛」の履歴書 — その34 撤退戦

 世界の生産基地として中国が急速に頭角を現していました。先にたくさんの工場が出ていたインドネシアは、もう中国に押されており、いつまで生産基地で居続けられるか疑問でした。

 イスラム原理主義の問題もあります。当時、インドネシア国内で爆破事件が数多く起きていました。治安の悪い国でものづくりが続けられるか。

「日本に帰ろう」

 考えに考えたすえ、そう決断したのは4年目でした。

「やはり、ものづくりは日本だ。日本を、桐生を世界に向けた生産基地にしよう」

 何の成算もないままそんなことを考えつつ、私は撤退戦を始めました。工場の返却、ミシンの売却、それまでの受注先が困らないように、「P.T.KASAMORI」に代わる工場の育成、従業員への割増退職金の支払い……。

 会社に5000千万円、個人的に5000万円、あわせて1億円ほどの借金が残りました。

「俺の代で会社を潰してしまうことになるのかなあ」

 日本に戻り、そんな鬱々とした気分で後始末を続けていたときに現れたのが、「OOO」開発の中心になってくれた片倉洋一君でした。

「雇ってくれ」

 と自分を押し売りする勢いに押されて、破れかぶれの気持ちで雇用しましたが、

「この子をすぐに失業させることになるのかなあ」

 という懸念はぬぐえませんでした。

 それが、いま「笠盛」の大きな屋台骨に成長しつつある「000」の開発に繋がるのですから、人生は有為転変です。これから先の「笠盛」の歴史は、第1章「000」に戻って辿って下さい。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)