世界の生産基地として中国が急速に頭角を現していました。先にたくさんの工場が出ていたインドネシアは、もう中国に押されており、いつまで生産基地で居続けられるか疑問でした。
イスラム原理主義の問題もあります。当時、インドネシア国内で爆破事件が数多く起きていました。治安の悪い国でものづくりが続けられるか。
「日本に帰ろう」
考えに考えたすえ、そう決断したのは4年目でした。
「やはり、ものづくりは日本だ。日本を、桐生を世界に向けた生産基地にしよう」
何の成算もないままそんなことを考えつつ、私は撤退戦を始めました。工場の返却、ミシンの売却、それまでの受注先が困らないように、「P.T.KASAMORI」に代わる工場の育成、従業員への割増退職金の支払い……。
会社に5000千万円、個人的に5000万円、あわせて1億円ほどの借金が残りました。
「俺の代で会社を潰してしまうことになるのかなあ」
日本に戻り、そんな鬱々とした気分で後始末を続けていたときに現れたのが、「OOO」開発の中心になってくれた片倉洋一君でした。
「雇ってくれ」
と自分を押し売りする勢いに押されて、破れかぶれの気持ちで雇用しましたが、
「この子をすぐに失業させることになるのかなあ」
という懸念はぬぐえませんでした。
それが、いま「笠盛」の大きな屋台骨に成長しつつある「000」の開発に繋がるのですから、人生は有為転変です。これから先の「笠盛」の歴史は、第1章「000」に戻って辿って下さい。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)
















