「笠盛」の履歴書 —その2 明治10年

 当時、明治政府は隣国である朝鮮に新政府の発足を知らせ、国交を開きたいという特使を送りましたが、頑なに鎖国政策を採り続けていた李氏朝鮮はにべもなく拒絶し、逆に排日の動きを強めました。そればかりか、摂政だった大院君は

「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん、我が国人にして日本人に交わるものは死刑に処せん」

 という布告を出します。日本人は獣だ、日本人と付き合った朝鮮人は死刑にする、というわけです。

 こうした流れの中で、明治政府内に征韓論が生まれます。板垣退助は朝鮮にいる日本人保護を名目に軍隊を派遣するよう主張しますが、「西郷どん」こと西郷隆盛は出兵に反対し、自分が朝鮮に渡って説得してくると主張して板垣を抑え、とりあえず政府の方針が決まりました。

 しかし最終決定は、使節団として欧米を回っていた岩倉具視、木戸孝允、大久保利通たちの帰国を待つことになりました。ひたすら使節団の帰国を待ちわびていた西郷どんでしたが、戻った大久保たちは一度決まっていた方針を覆します。それまでも不満を抱えていた西郷どんの堪忍袋の緒が切れてしまったのでしょう。西郷どんは参議・陸軍大将・近衛都督という役職を放り出し、故郷鹿児島に戻ってしまいました。

 鹿児島では新政府に不満を持つ若者たちが西郷どんを待ち受けていました。明治政府が廃刀令や秩禄処分(武士の給料であった秩禄の全廃)などを矢継ぎ早に打ち出し、旧武士階層の解体を図ったったことが怒りを呼び起こしていたのです。

「西郷先生が立てば、全国の不平武士が立ち上がる」

 と彼らが西郷どんを担ぎ上げ、明治政府に対して反乱を起こしました。これが西南戦争です。

明治10年とはそんな年でした。

  写真はウィキペディアからお借りしました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)