「笠盛」の履歴書 — その7 学究肌

「戦後間もなく、どんなに発注をかけても桐生には糸が入ってこず、みんな困り切っていたんです。日本全国が物資不足だから仕方がないか、とほとんどの人があきらめ顔だったが、盛さんだけは違った。単身大阪まで出かけ、紡績会社と直談判して糸を桐生に回すという言質を取ってくれたんだ。それも、自分の会社だけでなく、とにかく桐生の機屋には糸を出すという話で、本当に糸が送られてきたときみんな感謝した。盛さんは、いわば桐生の救世主だったんだ」

 お世辞が半分としても、いかにも親分肌だったといわれる盛らしい話ですのでここに紹介しました。

 仕事にも前向きだったようで、大正5年(1916年)に嘉吉から家業を受け継ぐと、まず屋号を「笠盛織物」と改めました。「嘉」を「盛」に直すことで自分が経営するのだという意気込みを満天下に示したのでしょう。

 それに、盛は学究肌です。屋号を改めると、帯をもっと売れるようにしようと研究に打ち込みました。どんな帯なら売れるのか、どんな帯をどんな作り方をしたら所得が低い人にも使ってもらえる安価な帯を生み出して市場を広げることができるのか。

 競争が激しい世界です。研究を重ねてもなかなか成果が出ず、周りからは

「もう諦めたらどうだ」

 と何度も忠告を受けたようですが、盛は諦めずに研究に没頭しました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)