「笠盛」の履歴書 — その14 流通革命
勝については、どうしてももう1つ書き残しておかなければならないことがあります。 勝は挑戦者であり、開拓者であったことはすでに書きました。勝が創り出した新しい帯が世の中から大きな賞賛を受けたことも御説明した通りです。 ...
第2部 「笠盛」の履歴書勝については、どうしてももう1つ書き残しておかなければならないことがあります。 勝は挑戦者であり、開拓者であったことはすでに書きました。勝が創り出した新しい帯が世の中から大きな賞賛を受けたことも御説明した通りです。 ...
第2部 「笠盛」の履歴書勝が成し遂げた最大の成果は、父である盛の研究を引き継いで完成させた「笠盛献上」という帯です。 献上帯とは、献上柄といいわれる柄を織り込んだ帯です。献上柄は「独鈷(どっこ)」といわれる密教の仏具を写した柄と、仏の供養を...
第2部 「笠盛」の履歴書織物に、紋織りという技法があります。地とは違った色の糸や、同じ色でも太さや組成が違う糸を組み合わせ、織り柄を作るのです。 地とは違う糸を組み合わせて織り柄を作るのですから、織り上がると、柄を入れるために使った糸の余り...
第2部 「笠盛」の履歴書結核を患った勝でしたが、軍事が国の中心となり、さらには敗戦の色が濃くなって、軍は猫の手も借りたくなったのでしょう。勝は2度も戦争に駆り出されました。兵隊としては、結核の病歴があったためか全く昇進せず、2度とも「二等兵」...
3代目になる父・勝(1912―1988)が家業を引き継いだのは終戦後間もなくのことでした。父は15、6歳の頃から仕事を手伝っていたといいますから、日々の仕事を通して、On The Job Trainingで盛の薫陶は充...
第2部 「笠盛」の履歴書それでも昭和恐慌の波はやがて収まり、「笠盛織物」は昭和10年頃には巨額の借金も返し終えて事業は順風に乗りました。 このころ、日本では軍靴の響きが急速に高くなりました。昭和6年には満州事変が始まり、翌7年には第一次上海...
第2部 「笠盛」の履歴書盛は苦労と縁が切れない人でもありました。 最大の苦難は昭和恐慌だったようです。 1929年10月24日、ニューヨーク株式市場で株価の大暴落が起きました。28、29日には株価は壊滅的に崩れ、「ブラック・サーズデー」「...
第2部 「笠盛」の履歴書話を元に戻しましょう。 2人を結びつけるきっかけはテツが寄せた思いだったのか、家業をもっと盛り上げようという嘉吉の計算だったのか、あるいはきっかけなどなく、若い2人がいつしか相思相愛の仲になっていて結ばれたのかは分か...
私の一族は女系家族であるようで、2代目盛(もり・1886―1960)も入り婿でした。嘉吉の2人の男の子がそろって夭折したためでした。記録では明治44年(1911年)、盛は嘉吉の長女テツと結婚し、笠原を名乗っています。 ...
第2部 「笠盛」の履歴書こうして明治10年、嘉吉は事業家への道を歩み始めました。藤吉の許しを得て笠原家の地所の一画に工場を建て、力織機を並べました。動力源は、敷地のすぐ前を流れていた掘り割りの水流で回す水車でした。親の助力を得たとはいえ、いま...