「笠盛」の履歴書 — その34 撤退戦
無論、テロ事件の余波がいつまでも続いたわけではありません。気を取り直し、イタバシニットからの注文が減った分をカバーする仕事を探し回ったことはいうまでもありません。そして、海外からの注文も徐々に回復してきたのです。だが、...
第2部 「笠盛」の履歴書無論、テロ事件の余波がいつまでも続いたわけではありません。気を取り直し、イタバシニットからの注文が減った分をカバーする仕事を探し回ったことはいうまでもありません。そして、海外からの注文も徐々に回復してきたのです。だが、...
第2部 「笠盛」の履歴書翌日から、雇い入れた20人の研修を始めました。ミシンについてはほとんど素人ばかりなので、1から教えなければなりません。 刺繍をするには上糸と下糸があり、両方のテンション(糸をはる強さ)のバランスが狂うとうまく仕上がら...
第2部 「笠盛」の履歴書2001年に入ると、立ち上げの準備に追われました。まず、工場をどこにするか決めねばなりません。イタバシニットと同じ工場団地内に新しく工場を造れば巨額の資金が必要になり、リスクが膨らみます。初期投資を抑えたい私は、工場団...
第2部 「笠盛」の履歴書何度も書きますが、私は、つくづく運のない経営者だと思います。 イタバシニットとのお約束では、1998年に独立して「笠盛」の現地工場を造るはずでした。その日が指折り数えるほどになった1997年7月、世に言うアジア通貨危...
第2部 「笠盛」の履歴書危険な臭い――まず、町が何とも暗いのです。 それに、同行してくれた三井物産の人が 「ここでは1人で歩かないでください」 「バスには絶対に乗ってはいけません」 「歩道橋は渡らないで下さい。歩道橋の両側から迫られたら逃げ...
第2部 「笠盛」の履歴書大失敗に終わったインドネシアに出たのは1992年のことでした。石油危機による不況のさなかに大変お世話になったイタバシニットが4年前に現地生産を始めておられ、 「『笠盛』さんも現地に工場を持って協力してくれないか」 と...
第2部 「笠盛」の履歴書何とか黒字化を果たせて一息ついたとき、思いもしなかった追い風が吹きました。それも、地元にちなんでいうならば、赤城おろしにも似た強い風だったのです。 四色に塗り分けられた傘のマークをご記憶でしょうか? アーノルド・パー...
第2部 「笠盛」の履歴書小野常務が寄せてくれた好意は、まさに干天に慈雨でした。いわれた通りアパレルメーカーに足を運ぶと、2、3の工場を紹介していただくことができました。イタバシニットが強く押してくれたのに違いありません。 紹介された先を訪ね...
第2部 「笠盛」の履歴書1年ぐらいは全く仕事になりませんでした。帰りの電車で苦い缶ビールを飲みながら 「ああ、今日もダメだった。こんな調子ではうちの会社はいつまで持つんだろう」 なんてため息ばかりついていました。 でも、不思議なことに、 ...
第2部 「笠盛」の履歴書ずっと続いてきた取引先は、ほぼ壊滅状態です。受注量は前年から半減。「笠盛」が生き延びるには新しい注文が何としてでも必要です。 既存の取引先が総崩れに近い状態です。やむなく私は飛び込み営業を始めました。これまで取引実績...