しかし、逆境に強いのは桐生の美点です(「笠盛」にもその遺伝子があります!)。当時の買継商(桐生にある、織物などを扱う産地商社)で、全国でも有数の資産を誇っていた桐生の佐羽家は、地元の窮状を知ると絹糸の輸出をスパッとやめ、横浜に開いていた輸出事務所を閉じました。それを機に、桐生は勢いを取り戻します。
そして明治維新。織物で裕福だった桐生は、出来たばかりの明治政府に多額の献金をしたようです。そのため、官庁からの発注が大量に舞い込むようになりました。軍服、巡査の制服などです。明治政府はゼロからの出発ですから、そうした官服もゼロから必要量を作らねばなりません。
「明治2年から10年くらいの間は大変忙しかった」
桐生南ロータリークラブで「桐生の歴史を語る」という連続講演をされた佐波家の子孫、秀夫さんはそう語っておられます。
明治政府は殖産興業を進めました。明治5年、政府は群馬県富岡市に、いまは世界遺産になった富岡製糸場を創りました。桐生にとっては追い風です。
明治10年、他に先駆けて桐生にジャガード機が入っています。ジャガード機は紋紙という、穴の空いた厚紙で織機の経(たて)糸の上げ下ろしを操作します。紋紙は穴が空いているかどうかで機械を操作するのですから、0か1かですべてをコントロールするコンピューター制御の先駆けともいえる仕組みでした。桐生は時代の最先端にいたのです。
そして、後に総理大臣になる松方正義さんの要請で、明治11年、パリで開かれたフランス万国博覧会に桐生が出展しました。「笠盛」の前身、「笠嘉織物(かさかおりもの)」が産声を上げた明治10年とはそのような年でした。当時の桐生は昇り龍の勢いだったのです。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)















