そんな勝でしたが、最後は戦地で結核を再発してしまい、除隊となって桐生に戻ってきました。それでも療養のために寝ていることは国が許さず、今の太田市にあった中島飛行機で戦闘機の車輪の設計をやらされました。家業の織機のメンテナンスを一人でやっていたのですから、その頃には織機の修理や整備では専門家になっていたのかもしれませんが、織機が分かるからといって戦闘機の車輪の設計が出来るものなのかどうか。戦争末期の日本はそこまで追い込まれていたのでしょう。
勝も
「車輪とはいえ、戦闘機の一部を俺が設計するんだからなあ」
と話していましたので、釈然としない思い、これで戦争に勝てるのかという疑いを抱えていたに違いありません。
そのころの家業は開店休業状態です。前にも書いたように、政府から金属の供出を命じられて織機がほとんどなくなっていましたので、仕事をしようにもできなかったのです。
事業の本格的な再開は戦後のことでした。そして、勝の機械いじり好きがやっと花開くことになります。

1948年3月18日生まれ
好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分)
嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分)
得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分)
苦手:指相撲、妻(多分)
似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)















