「笠盛」の履歴書 — その13 笠盛献上

 日本に入ったのは明治後期といわれています。大正4年(1915年)には国内での製造も始まりました。もちろん、絹に比べれば価格ははるかに安かったのです。

 盛が何を研究し、勝がどうやって製品にまで作り上げたのか。いまとなってはよく分かりません。しかし、見た目は絹と変わりなく、ずっと安く手に入る人絹の帯を「笠盛献上」の名で売り出すと、大変な評判を呼びました。織都桐生には当時、数え切れないほどの帯の機屋さんがありましたが、一時は桐生からの帯の出荷の三割を「笠盛献上」が占めたと聞いています。リバーシブルの帯の売れ行きにも驚いた勝でしたが、この「笠盛献上」は、さらにずっと上を行く人気沸騰ぶりだったそうです。

 こう見てくると、父の勝は常に一歩先を見る挑戦者であり、自分の才能をフルに生かして新製品の開発を続けた開拓者だったということになります。しかし、勝に育てられた私には、父は父、としか見えず、そんなに偉大な男だとはまったく思わずに育ってしまったのですが……。

 いずれにしても、父・勝のおかげで、私が物心つくころには、「笠盛」は従業員50人を越える会社に成長していました。

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笠原 康利
1948年3月18日生まれ 好き:仕事、ワイン、落語、漫才、みんなの笑顔、家族、妻(多分) 嫌い:仕事、ホルモンのシロ=噛みきれないので、妻(多分) 得意:笑顔、プログラミング、早食い、経営(多分)、妻(多分) 苦手:指相撲、妻(多分) 似ている芸能人:藤山寬美、キムタク(多分)